奥氷川神社

氷川神社は、東京都西多摩郡奥多摩町氷川に鎮座。
参拝時、境内はゲートボール中でした。

 この社は、大宮市の氷川神社所沢市の中氷川神社と共に武蔵三氷川の一社といわれ、また、氷川の地名はこの社から起こったといわれ、その歴史の古さが伺われます。
 現在の本殿は元禄年間(1688〜1704)に建てられたもので、町内では貴重な存在です。

「境内案内」より

鳥居

社殿

天満宮


虎柏神社

虎柏神社は、東京都青梅市根ヶ布に鎮座。
延喜式神名帳に載る武蔵国 多磨郡「虎柏神社」の論社。

 虎柏神社は、定かではないが、いわゆる延喜式内社に比定される古社である。
 当神社は永正年間(1504〜1521)勝沼城主三田氏宗により再興されたと伝えられ、享保一二年(1727)の「武蔵国多摩郡小曽木郷惣社縁起」には、天正一八年(1590)浅野長政が正殿に諏訪神、東の相殿に虎柏神、西の相殿に疫神を定め、小曽木郷の惣社を号したと記されており、江戸時代は諏訪明神社と称していた。天正一九年一一月には徳川氏より朱印地三石を下賜されているが、朱印高は幕末まで変わることはなかった。
 明治三年(1870)には社号を旧名の虎柏神社に改め、虎柏神を正殿、諏訪神を東側に遷座し、明治六年一二月郷社に列せられている。
 現在の境域には享保一九年(1734)建立の本殿を中心に配置された諸殿舎と江戸時代以降に寄進された石造物、及び古木の境内林などが存し、江戸・明治期の旧態をよく留め、宗教的神秘性を有する独特な空間を形成している。
 指定面積は45,155.23平方メートルである。

「境内案内」より

社殿


社殿右手の藤原神社と朝日の仮屋


社殿左手の稲荷神社と夕日の仮屋


高峯神社

阿伎留神社

阿伎留神社は、東京都あきる野市五日市に鎮座。
延喜式神名帳に載る武蔵国 多磨郡「阿伎留神社」に比定される。

延喜式 阿伎留神社 由緒略誌

一、御祭神
大物主神
味耜高彦根神
建夷鳥神
天児屋根命
二、社名
阿伎留 畔切 秋留と三様に書くが皆「あきる」と読む 正式には延喜式に載るとおり阿伎留神社である
また鎮座地により松原大明神とも称し江戸時代中期一時春日大明神と呼ばれた 通称は松原さまである
三、由緒
創立起源不詳 延喜式では武蔵国多摩郡八座の筆頭にあげられている また 三代実録元慶八年秋七月十五日の条には武蔵国正五位下勲六等畔切神に従四位下を授けた旨が記載されている いずれにしても武蔵国内著名の古社で朝野の崇敬篤く以後も定時の奉幣加階が行われた
また武将の信仰も広く 藤原秀郷平将門征討に際し戦勝祈願し鎌倉時代以降も源頼朝 足利尊氏 後 北条氏もそれぞれ社領を寄進した 徳川家康は江戸入府の翌年天正十九年十一月武蔵国多西郡秋留郷松原の内で十石の土地を寄進し以後代々の将軍はこの先例に従って その末印十二通を現存している 明治以降神社制度の確立に伴ないいち早く郷社に列格し更に明治四十年五月神饌幣帛料供進神社に指定された 戦後昭和二十九年四月宗教法人となった
社殿は天保元年の五日市大火に類焼し本殿拝殿付属殿舎尽く焼失した そこで幕府に請うて江戸府中武蔵一国の勧化許可を受け資金資材の準備を進めたが建設までには至らず明治二十一年十一月漸く現本殿拝殿の再建が成った
四、末社
大鳥神社 若電神社 熊野神社を合祭する
菅原神社 小川神社 占方神社 倭健命神社を合祭する
日枝神社 伊多弖神社 松尾神社 平野神社 庭津日神社 国造社を合祭する
稲荷神社 松原稲荷神社 白光稲荷神社 福穂稲荷神社
琴平神社 境外末社入野峰山頂に祀る
熊野神社 境外末社中入野熊野山に祀る
 右のうち若電神社と伊多弖神社は三代実録に載る古社である

「境内由緒書」より

鳥居

境内

社殿

占方神社

大鳥神社

白光稲荷神社

松尾神社 日枝神社

分かりませんでした。。

平群天神社と神照寺

平群天神社は、千葉県南房総市平久里中に鎮座。
奥に伊予ヶ岳の登山口があります。

朝日山 神照寺は、神社の右手にあり、
安房国札三十四観音 第14番札所になります。

一、祭神
菅原道真
木花之佐久夜毘売命
天照大日霎貴命
建御名方神

一、由緒
室町時代文和二年(1353)細川相模守が霊夢により京都北野天神をこの地に勧請し平群九邑の鎮守として信仰を集めていた。
天正十四年(1588)里見義頼公の命で大工飛騨守家助により本殿が改築され。貞享四年(1687)幣殿・拝殿が改築され。更に文化五年(1808)神照寺法印宥弘により再建された。
明治六年郷社に列せられた。特に学問の神として広く信仰されている。

「境内案内」より

天神社

神照寺

伊予ヶ岳山頂から

箱根神社

箱根神社は、神奈川県足柄下郡箱根町元箱根に鎮座。
国幣小社、現別表神社

御祭神
 箱根大神
  瓊瓊杵尊
  彦火火出見尊
  木花咲耶姫命
由緒
 箱根神社は、古来関東総鎮守箱根大権現と尊崇された名社で「交通安全・心願成就・開運厄除」に御神徳の高い運開きの神様として信仰されています。
 当神社は、人皇第五代孝昭天皇の御代(2400年前)聖占仙人が箱根山駒ヶ岳より、主峰の神山を神体山としてお祀りされて以来、関東における山岳信仰の一大霊場でありました。
 奈良朝の初期(1200年前)萬巻上人は、ご神託により現在の地に里宮を建て、箱根三所権現と称之奉り、佛教とりわけ修験道と習合しました。平安朝初期、箱根道が開通しますと、往来の旅人は道中安全を祈願しました。
 鎌倉期、源頼朝は深く当神社を信仰し、二所詣(当社と伊豆山権現参詣)の風儀を生み、執権北条氏や戦国武将の徳川家康等、武家による崇敬の篤いお社として栄えてきました。
 近世、官道としての箱根道が整備され、箱根宿や関所が設けられますと、東西交通の要(道中安全の守護神)として当神社の崇敬は益益盛んになり、庶民信仰の聖地と変貌しました。
 こうして天下の険箱根山を駕籠で往来する時代からやがて車社会に変る近代日本へと移行しますが、その明治の初年には、神仏分離により関東総鎮守箱根権現は、箱根神社と改称されました。爾来、明治六年明治天皇・皇后両陛下の御参拝をはじめ大正・昭和・平成の現代に至るまで、各皇族方の御参拝は相次いで行われました。
昭和五十五年、昭和天皇・皇太后両陛下の御親拝につづいて翌五十六年、皇太子浩宮殿下も御参拝になりました。現在、箱根に訪れる年間二千万人を越える内外の観光客を迎えて、ご社頭は益々殷賑を加えているのも、箱根大神の御神威によるものであります。

「境内案内」より

鳥居

参道

神門

社殿

曽我神社

九頭龍神

龍神

平和の鳥居と芦ノ湖

東口本宮冨士浅間神社

東口本宮冨士浅間神社は、静岡県駿東郡小山町須走に鎮座。
富士山登山の須走口です。

御祭神

創建
第五十一代平城天皇の大同二丁亥年(西厂807)
御由緒
第五十代桓武天皇時代の延暦二十一癸未年(802)正月、富士山東側が噴火し、爆発によって吹き上げられた火山岩や砂礫が四周に飛び散り、しばらく噴火が続いた。特に、東麓の御殿場地方の被害が大きく、時の国司、郡司が諸人の憂情を憐み、鎮火の祈願をなさんが為、東面須走の地に来り斎場を設け祭事を執行せらる。即ち現在の社地、字日向と呼稱する所にして、同年四月初申の日に噴火が治まったので、この神助を報賽せんが為、当社を創建せらる。
富士信仰
霊峰富士山は、古来浅間大神の静まり坐神体山として、全国の登拝者の最も尊崇するところである。当社は、天正年間開通と伝えられる須走口登山道の本営として、特に夏季は、登拝者で社頭を賑わす。
「境内案内」より

大鳥居

随神門

参道

社殿


[末社] 社護神社

[末社] 恵比須大国社

祖霊社


隣接する須走護国神社

氷川神社

氷川神社は、さいたま市大宮区高鼻町に鎮座。
武蔵国一宮。ただ、諸説あるようで、武蔵国総社「大國魂神社」には三宮として祀られています。
延喜式神名帳に載る武蔵国 足立郡氷川神社 名神大月次新嘗」に比定される。

 氷川神社は今から凡そ二千有余年前、第五代孝昭天皇の御代三年四月未の日の御創立と伝えられます。当神社は、歴朝の御崇敬・武将の尊敬も篤く、景行天皇の御代日本武尊は東夷鎮定の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝命により武蔵国造となって氷川神社を専ら奉崇し、善政を布かれてから益々神威輝き、格式高く聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の御代に制定された延喜式神名帳には名神大社として、月次新嘗案上の官幣に預り又臨時祭にも奉幣に預っております。武家時代になってからは鎌倉、足利、徳川の各将軍家等相継いで尊仰し、奉行に命じて社殿を造営し社領を寄進する等、祭祀も厳重に行われておりました。
 明治元年には明治天皇氷川神社武蔵国の鎮守・勅祭の社と御定めになり、当社に行幸、御親ら祭儀を執り行われ、同三年にも再び御親祭されました。明治四年には官幣大社に列せられ、同十一年には明治天皇が三度目の御親拝をされ、大正十年には大正天皇が御親拝されました。
昭和九年には昭和天皇が御親拝、同三十八年今上陛下が皇太子時に御参拝され、同四十二年には社殿、その他の諸建物の修復工事が完成し、昭和天皇・皇后両陛下御揃いで御親拝され、明治天皇御親祭百年大祭が執り行われました。昭和六十二年には今上陛下が皇太子時に同妃殿下と御揃いで御参拝され、平成五年五月には天皇皇后両陛下が御揃いで御親拝になられました。

「境内案内」より

三の鳥居

楼門

舞殿

拝殿


以下、摂社・末社

[末社] 稲荷神社

[摂社] 宗像神社

[末社] 松尾神社

[摂社] 天津神

[末社] 六社(住吉神社神明神社山祇神社愛宕神社・雷神社・石上神社)

[摂社] 門客人神社 [末社] 御嶽神社

[末社] 天満神社