筑波山神社
筑波山神社は、茨城県つくば市筑波に鎮座。
筑波山中腹に拝殿、男体山・女体山山頂に本殿。
「延喜式」神名帳に載る常陸国 筑波郡「筑波山神社二座」に比定され、
男体山本殿が名神大社、女体山本殿が小社にあたる。
筑波山は、伊弉諾尊・伊弉冉尊二神御降臨の霊山で、西峰に男大神、東峰に女大神を祀り、筑波山神社と崇め奉る。世々筑波国造が奉仕し 嵯峨天皇の弘仁十四年正月官社となり、延喜式内名神大社に列す。
慶長の初め徳川家康は、当山を以て江戸城鎮護将軍家第一等の御祈願所と定め、寛永十年十一月三代将軍家光は山内の諸社堂伽藍を悉く寄進造営し輪奐その美を尽す。御神領千五百石。元治元年の筑波山義挙を経て、明治元年三月、神仏分離の令により当山は神体山信仰の古制に復し、明治八年拝殿を造営す。
その後、昭和三年四月文部省古社寺保存課安間立雄技手の設計管理にて唐破風千鳥破風付銅板葺入母屋造りに改修し、昭和三十年五月男体山御本殿を改築す。
昭和五十一年五月二十四日・二十五日の両日 天皇・皇后両陛下 当山に御幸啓遊ばされ、全山を挙げて御聖代を謳歌し奉る。越えて昭和五十四年五月御本殿御造営奉賛会を結成して、六十五年の風雪に堪えた女体山御本殿を改築し、更に記念事業として九十五年前建築の社務所に代え、「人民集賀」と御神徳を称えた常陸風土記縁月の参集殿を建立して千手堂に三重塔を配した江戸時代の結構の再現、及び百年前に亜鉛板で仮葺きした随神門屋根の改修をはかり、氏子崇敬者からの浄財寄進により左の事業を行い、明治以来の宿願を達成す。「境内石碑」より
筑波山神社から御幸ヶ原コースで登山し、男体山・女体山の山頂へ、白雲橋コースで下山したので回った順で掲載します。
〜 筑波山神社 〜
〜 御幸ヶ原コース 〜
へばっていたので、写真は少ないです。。
〜 男体山から女体山へ 〜
常陸帯神社
〜 女体山 〜
〜 白雲橋コース 〜
高天原 稲村神社