遠見岬神社

遠見岬神社は、千葉県勝浦市浜勝浦に鎮座。
参道の石階段にひな人形が飾られる「ビッグひな祭り」をニュースなどで見た事がある方も多いのではないでしょうか?

リーフレットに掲載されていた内容が、安房と阿波の繋がりや、
この土地の歴史について分かり易く解説されていたので掲載させて頂きます。

【御祭神】
天冨命

【御由緒】
社伝によると、神武天皇の側近として活躍された天冨命は、神武天皇の勅命を奉じ阿波の開拓を終えた後、東国により良い土地を求めて阿波に住む忌部一族を率いて海路を黒潮に乗り、紀伊を経て房総半島南端の布良の浜に上陸され、祖神である天太玉命を祀る社を建て、麻や穀を植え開拓を進められました。
そして、麻がよく育ったところを総の国(後の上総・下総)穀の木がよく育った国を結城郡(現在の茨城県結城市)と名付け、阿波忌部の住んだ所は後に、安房国と呼ばれました。

安房の開拓を終えた天冨命は、その後当地においでになり遠見岬(現在の八幡岬)突端の冨貴島に住まわれ、先住民に農業・漁業・建築等の技術を教えました。
天冨命がお隠れになった後、天日鷲命の後裔、勝占忌部の須須立命が天冨命の居跡に社を建て、開拓の祖神として護神霊をお祀りしたのが当社の始まりと伝えられております。
また、勝占忌部が住んだこの地は後に勝占(現在の勝浦)と呼ばれました。

時代は下り、慶長六年(1601)大海嘯により社殿は決壊し社宝の多くを流失してしまいます。
御神体と決壊した御社殿は尊磯の浜に流れ着き、一時宮谷に祀られ、萬治二年(1659)当時の勝浦城主植村土佐守泰朝公により現在の地に遷座されました。

旧社地はその後、元禄十六年(1703)の大地震により海沈し、現在は一部が残されているのみです。
勝浦は漁業の発展と共に、江戸時代には「勝浦三町江戸勝り」と例えられたほど繁栄し、当社は近郊の領主はもとより漁業関係者を始め、全国より崇敬を集めました。
御祭神天冨命は、開拓の指導者として幅広い御神徳をもち、また東京より巽の吉方(東南)に鎮まる神社として、今もなお多くの信仰を集めております。

鳥居

参道石段

境内社

参道からの眺め

鳥居をくぐると空気が変わりました

拝殿

奥の宮か?