玉崎神社(旭市)

玉崎神社は、千葉県旭市飯岡に鎮座。
下総国二宮の論社。

祭神は、玉依姫命日本武尊である。社伝によると、景行天皇起の四十(111)年、日本武尊が東征の際、玉の浦の東端、玉が崎に創祀された。
中世には下総国二宮とも称され、龍王崎の地にあったが、天文年間に兵火に遭い、積年の海蝕を避け、現在地に移したと伝えられている。

上総国一宮(玉前神社)とともに九十九里浜を鎮護する神社として広く崇められ、佐倉藩主堀田氏、久留里藩主黒田氏や国学者平田篤胤、大國隆正が参拝しており、近年には、画家竹久夢二のほか、漁業関係者など多くの信仰を集めている。


「境内案内より」

玉の浦総社玉崎神社に鎮まります神の御名は 玉依毘賣命日本武尊と申し 御創建は日本武尊が夷賊平鎮と海上安穏を祈り 第十二代景行天皇の御代に龍王岬に斎き祀るによる
野手への神幸については 元禄十三年(1700年)年に神官神原山城守藤原重正が誌した「玉ヶ嵜明神行幸元由記」によると寛治元年(1087年)の「後三年の役」に八幡太郎源義家が勅命により奥州に清原武衡 家衡を討伐した
その帰路銚子を経て玉ヶ嵜明神に御剣を奉納し戦勝の参拝をした
更に駒を西へ進めようとすると野中の荘司が三川村より野手村の間には人馬に飲ます水がないという
そこで玉ヶ嵜明神に祈ると神験あらたかに今泉村に至り清水を得 たという
この事蹟を目のあたりにした野手村の人々の招請で数度にわたり神幸をし その度ごとに御加護を得た
このようなことから御稜威を長久に仰ごうと元禄十三年になり庚辰年毎に神幸することとし 六月十五日に初めて斎行したと記されている
六社大神の「神宝玉石の記」には 応永二十三年(1416年)飯岡の神原沖に霊光があり三日にわたり浦人が祈ると二つの明珠が浜に上った
そこで玉ヶ嵜明神の分霊として一顆は龍神宮に一 顆は六社大神に祀った
霊験はあらたかで浜は大漁にわいた
翌二十四年には 招請して龍神宮と六社大神に神幸が行われたと記している
円長寺には仏教説話として中興の祖長貴上人を龍女 の話が伝えられている
その後庚辰の宝暦八年文政三年そして明治十三年と神幸が行われた
昭和三年は戊辰年であったが昭和天皇御即位の吉年であり神幸を行った
今回はそれより六十一年目に当るので昭和六十三年秋十月に斎行するところであったが はからずも昭和天皇崩御により平成元年五月二十七日より三日間にわたり神幸した
祭儀は六社大神龍神宮 日月神熊野神社 水神社 宝石稲荷神社と円長寺を参拝し 五十艘の漁船に護られた御座船による海上渡御 野手八軒浜での潮汲神事と古式に則り斎行された
町内では神輿山車の出御や稚児行列その他の神賑行事を行った 記念事業として宝永元年の神輿の修造 御神扉の改修 鳥居の建立 参道 外玉垣 社務所玄関屋根の修築などを成就した
ここに氏子崇敬者の名を刻し幾久しくこの神事が清らかに 穏やかに継承されることを祈念するものである

「境内石碑より」

鳥居

拝殿

境内社
助五郎稲荷神社

厳島神社

金比羅神社

招魂社

大漁稲荷神社

三峯神社

八重垣神社