長安山 石堂寺

石堂寺は、千葉県南房総市石堂にある寺院。
安房国札三十四観音の第20番札所になっています。

石堂寺縁起

 当寺は神亀三年(726)聖武天皇の勅願により行基上人の創始と伝えられ、天竺阿育王塔を安置する南総屈指の天台宗名刹である。

 その後仁寿元年(851)天台座主円仁(慈覚大使)が当寺に投錫・七堂伽藍を造営、鎮護国家の道場として完成した。
 更に嘉禄元年(1225)には定辨法印が境内の再興をはかり、文安三年(1446)には比叡山の学頭宗覚法印が住職となって、全山を再興、内寺中に生善院他五寺二院、外寺中に西之坊外五坊、中寺に妙法房外五坊、門徒二十七ヶ寺、妻帯寺六ヶ寺等、隆昌を極めるに至った。

 ところが、文明十九年(1487)妙法房より夜盗の災火が起り、猛勢全山に及び、堂宇僧房悉く灰燼に帰したのであった。
 宗覚の弟子宗海は、領主丸氏の生れでもあり、丸氏の強力な援助と十方信者の助力をえ二十余年の歳月を経て、永正十年(1513)漸く再建に成功した。

 北条氏と足利・里見連合軍が戦った国府台の戦(1579)以後は、足利氏(鎌倉公方の後胤)の子弟を当山で養育、ために里見氏より一千石の寄進を受け、寺域の整備がはかられた。
 この間元亀二年(1571)、織田信長比叡山を焼き討ちした時には、退山の僧が伝教大師将来の天台大師御真影を護持して当山に来錫、長く恭敬供養、寛政二年(1790)懇望されて比叡山に還座、その功により、総本山直末本山格に班列されて今日に至っている。

「境内案内より」


本堂

多宝塔

薬師堂

山王堂

三十三観音(閻魔堂)

旧尾形家