伏見稲荷大社

伏見稲荷大社は、京都市伏見区深草藪之内町に鎮座。
全国に分布する稲荷社の総本社。
式内社二十二社の一社。

 祭神は、古来諸説あるが、現在は宇迦之御魂大神(下社・中央座)、猿田彦神(中社・北座)、大宮売神(上座・南座)、田中大神(田中社・最北座)、四大神(四大神社・最南座)の五座で、これを総じて稲荷大神、または稲荷五社大明神と称している。
 社伝によると、元明天皇和銅四年(711)二月七日初午の日に、稲荷山三ヶ峯に鎮座せられたと伝えられる。『延喜式神名帳には「稲荷神三座(下中上三社)」は名神大社に列せられていて、天慶五年頃(942)には早くも、神階正一位に叙せられている。そして、京都地方の豪族、秦氏一族が、禰宜・祝として祭祀に奉仕していた。

 『山城国風土記逸文の伊奈利社の条に、

風土記に曰く、伊奈利と称ふは、秦中家忌寸等が遠つ祖、伊呂具の秦公(秦氏の祖先で氏神的存在の人)、稲梁を積みて富み裕ひき、乃ち、餅を用ちて的と為ししかば、白き鳥と化成りて飛び翔りて、山の峯に居り、伊禰奈利生ひき。遂に神の名と為しき。其の苗裔に至り、先の過ちを悔いて、社の木を抜じて、家に殖ゑて祷み祭りき。今、其の木を殖ゑ蘇くれば福を得、其の木を殖ゑて枯るれば福あらず」
と、稲荷社の由縁が書かれている。これから見ると秦氏氏神であったことがわかる。

 稲荷山は京都の東山三十六峯のいちばん南の山で、昔はそこに祀られている稲荷は二つあった。
 まず、『古風土記』に出てくる秦氏氏神である伊奈利だが、これは稲を荷なう姿の翁を神とする稲荷である。次に、秦氏氏神だけでなく、幕末の有名な国学者荷田春満の祖先の荷田氏の氏神である稲荷社があった。だから、山頂の奥社へ行く登り道も二つあった。現在では一つに併合されたが、近世までは二社並立の神社であったのである。したがって、稲荷の祭神像も、前記の稲束を荷なう翁像と、命婦(巫女的な存在のものと考えてよい)の像の二種類がある。

「日本の神様読み解き辞典より」

御幸道の鳥居
楼門

拝殿

本殿

東丸神社

権殿

奥から
[末社] 長者社 秦氏
[末社] 荷田社 荷田氏
[末社] 八幡宮応神天皇 日吉社 大山咋神 若王子社 若王子大神 猛尾社 須佐之男 蛭子社 事代主神
[末社] 両宮社 天照皇大神 豊受皇大神
[末社] 玉山稲荷社 玉山稲荷大神
奥宮

[末社] 白狐社 命婦専女神

千本鳥居


奥社奉拝所

稲荷山全体が稲荷信仰の対象となっていて、ものすごい数の祠があるので地図に沿って紹介。
右回りで参拝しました。

熊鷹社
三徳社

田中社

四ッ辻から

大杉社

眼力社

奥村社

力松社

清瀧


天龍社

笠杉社

薬力社

石井社

釼石社

春繁社

もうすぐ稲荷山の最高峰、ここがキツかった…
一ノ峰 上社 末広大神

二ノ峰 中社 青木大神

間ノ峰 荷田社 伊勢大神

三ノ峰 下社 白菊大神

帰りは三ッ辻を直進。
民家がある場所に出てしまった…間違ったのかな〜

何が祀られているが不明だが、気になったので。

荒木神社

7時から参拝。約2時間掛かり戻ってきた頃には、参拝者も増えていた。


[末社] 霊魂社
[末社] 藤尾社 舎人親王
[末社] 熊野社 伊邪那美大神