吉田神社
吉田神社は、京都市左京区吉田神楽岡町に鎮座。
二十二社の一社。
平城京に春日大社、長岡京に大原野神社、平安京に当社。
春日神は、天皇家の外戚である藤原氏の氏神であることから、朝廷の近くに祀られたとか。
祭神として健御賀豆智命・伊波比主命・天之子八根命・比売神の四神を祀る。
清和天皇の貞観元年(859)四月、古くからの霊域であったこの吉田山に、中納言藤原山蔭卿が平安京の鎮守神として春日の四神を勧請し、以来、朝廷の信仰も厚く、正暦二年(991)には、朝廷から特別の奉幣を受ける二十二の社「二十二社」の前身である十九社奉幣に列する。
次いで、室町時代の中頃、神官の吉田(卜部)兼倶が吉田神道(唯一神道)を大成し、山上に斎場所大元宮を造営してから、吉田流神道の総家として明治に至るまで神道界に大きな権威を誇った。大元宮(重要文化財)には全国の神々が祀られ、ここに参ると全国の神社に参ったのと同じ効験があると信仰されている。
本殿は慶安年間(1648〜1651)の建築で、朱塗春日造である。境内には、大元宮のほか、地域の氏神・雷除神として有名な神楽岡社、吉田兼倶を祀る神龍社、料理の神を祀る山蔭神社、お菓子の神を祀る菓祖神社など多彩な末社、摂社が多い。
毎年節分の日を中心に三日間行われる節分際は、疫神祭・追儺式・火炉祭の三部に分れ、追儺式は「鬼やらい」として特に有名で、毎年多数の参拝者でにぎわう。「立て看板より」
以下、摂社・末社
[摂社] 若宮社 天忍雲根命
全国の延喜式内社三千百三十二座を奉祀する
続いて竹中稲荷社へ
ここは、明治五年に吉田神社の末社に指定されたそうだ
境内
竹中稲荷社 宇賀御魂神・猿田彦神・天鈿女神
竹藤神社 竹光神社
竹春神社 竹丸神社