森神社

森神社は、奈良県天理市森本町に鎮座。
祭神は、天児屋根命
延喜式神名帳添上郡の「太祝詞神社大、月次新嘗」の論社。

正保二年(1645)の石灯籠に「森野大明神」と刻し、寛文五年(1665)の棟礼には「祝太詔戸神社之上棟 祭神亀津姫命」と墨書される。森恵家系譜(森恵家蔵)に、寛永十五年(1638)に死んだ左馬亮信孝は杜本邑太詔戸社北隣、清水丘に館を建てたことを記し、当時、森野明神をもって「延喜式神名帳添上郡の「太祝詞神社大、月次新嘗」にあてる説があった。「大和志」も所在未詳としながら「一説森本村」とする。

「新抄格勅符抄」によると、「太詔詩命神」は天平神護元年(765)大和国に神封一戸をあてられた。「延喜式神名帳京中坐神三座のうち右京二条に「太詔戸命神」があり、「本社大和国添上郡対馬国下県郡太祝詞神社」と注されることから、平安遷都の際、大和の諸社が宮中・京中へ遷座した時に移されたものと思われる。「日本書紀」神代紀に、天照大神の天石窟籠りの時に天児屋根命をして解除の太諄辞をつかさどらしめたことがみえ、「延喜式神名帳頭註」に京中の太詔戸命神は天児屋根命と記している。

釈日本紀」所引の亀兆伝に「亀津比女命今称天津詔戸太詔戸命也」とあるが、亀トの神とされる亀津比女命については不明。江戸時代の別段帳に「亀の甲田」の地名がみえることなどから、明治九年(1876)頃太詔詞神社と社名変更を嘆願する運動があった(天理市史)。なお太詔詞社を南都東新在家にあったとする説もある(奈良坊目拙解)。

「寺院神社大辞典」より

鳥居

社殿

八王子神社