姫丸稲荷神社

姫丸稲荷神社は、奈良県天理市石上町に鎮座。
式内社山辺郡 石上市神社」の旧地という。

平尾山案内記

平尾山稲荷神社の境内を中心として平尾山の大部分は旧地名を「宮の屋敷」といった。日本書紀によると第二十四代仁賢天皇の石上広郄宮や、その御父市辺押磐皇子の石上市辺宮は、この「宮の屋敷」の地にあったと考証されている。更に東方には大塚・うわなり塚など五世紀頃の大きな前方後円墳や何十という古墳が残っている。又明治十六・七年には神社の東方百米の地より二個の銅鐸が出土して、この地域が古代の文化中心地帯であったことを立証した。特に前記仁賢帝の時代は大和朝廷の所在地として、わが國政治・文化の中心だったのである。
 これは今から千五百年も昔のことであるが、その後奈良時代から平安時代も平尾山の麓には民家が建ちならび、石上寺・在原寺・六坊寺・薬師堂などの寺院が営まれた。「在原寺縁起」によると 第五十一代平城天皇の皇子 阿保親王は石上の在原の地に住まわれ、承和二年(西紀835年)に平尾山にあった補陀落山光明寺を在原に移して在原寺を創建しその本尊十一面観音を迎えておまつりをしたということである。また親王の子で六歌仙の一人とうたわれた在原業平朝臣は、この石上で生まれ平尾の神の氏子として幼名を平尾丸と名づけられた。
「宮の屋敷」というのは石上広郄宮の屋敷という意味であったかもしれないが、後には宮址に祀られた平尾のお宮の屋敷と考えられてきた。第六十一代醍醐天皇の時に編述された延喜式に記されている石上市神社は、このお宮のことである。この神社は江戸時代の中頃に石上村の鎮守として現在の石上の民家付近に移されたが、稲荷社はこの旧地のお宮にお残りになった。これが正一位平尾姫丸稲荷大明神で宇賀御魂の神を祀る。この稲荷神社は、昔から石上村に限らず遠近の人人から篤く信仰され五穀豊穣、家内安全、商賣繁昌を祈願する人々、平尾丸の在原業平のように賢い子供をという親心から信心する人々など跡を絶たず。特に初午の早春のころ参詣者で一山を埋めるにぎわいを呈する。
昭和四十年三月

「境内案内記」より

鳥居

参道

境内

鳥居

拝殿

本殿


境内には、かなりの祠・石碑があったので一部を掲載