若櫻神社

若櫻神社は、奈良県桜井市谷に鎮座。

本殿は東殿と西殿があり、供に式内社
東殿は、城上郡「若桜神社」、
西殿は、城上郡「高屋安倍神社三座名神大、月次新嘗」に比定される。

 本殿には、東殿と西殿があり、東殿が若櫻神社である。
若櫻神社は、伊波俄牟郡加利命の後裔で、若櫻部朝臣・阿部朝臣の祖である伊波俄加利命 合 神倭磐余比古命(後の神武天皇)を祭神とする延喜式式内社である。本殿西側(西殿)に鎮座の高屋安部神社は、安部氏の祖神を祀るとする屋主彦太男心命、大彦命、彦屋主田心命を祭神とする延喜式式内大社である。西殿の高屋安部神社は、本来の鎮座地は更に南400mにあった松本山であって、「霖雨のため一山崩潰社殿破壊し終に若櫻神社の境内に遷座せり」と社伝に記されている。移転時期は不明であるが、18世紀以前と思われる。

 若櫻神社の歴史は古く、一説によると第17代天皇 履中天皇(400-405年)が磐余市磯池に遊ばれたとき、時ならぬ桜の花の散りかかる奇瑞をめでて、その宮を磐余稚桜宮と改め、稚桜部造と稚桜部臣(現 若櫻神社か)を置かれた。といわれている。また、最も古いものでは、『秀真伝』(八幡書店刊)の記述から類推したもので、瀬織津姫神と速秋津姫神天照神の12后の一人とされていて、瀬織津姫神の妹・「若桜花子」が「速佐須良姫神」である可能性もある。その若姫花子は、瀬織津姫神とともに谷の桜内命の子で、「若姫花子」の「若」、「桜内命」の「桜」、「谷」という地名の「谷」からして、この若櫻神社は「若姫花子」と因縁浅からぬ関係にある神社である。という説もある。

「神社にあったリーフレット」より

鳥居

境内

社殿