葛井寺

葛井寺は、大阪府藤井寺市藤井寺にある寺院。
山号紫雲山
西国三十三所や神仏霊場巡拝の道の札所になっています。

 河内飛鳥時代百済からの渡来者によって繁栄したこの付近も王仁一族の辰孫王が葛井連と改姓し氏寺として創建した葛井宿弥‐葛井給子‐葛井道依‐藤継子(平城天皇妃)‐阿保親王在原業平と次々に葛井氏系により伽藍の建設がなされた。勧進帳によると当時は約2㎞平方の境内に東西両塔がそなわり七堂伽藍を有していた。
 神亀二年(725)聖武天皇が稽文会。稽首勲(春日仏師)父子に命じて千手観世音菩薩を造像させた。その入佛開眼法要には藤原朝臣房前を勅使として僧行基菩薩を導師として勤められ紫雲山金剛琳寺と勅号を下された。
 南北朝時代には後醍醐・後村上天皇も帰依され楠正行公が正平二年(1347)自軍七百余兵を率いて当寺に屯し細川顕氏七千の兵を破った「藤井寺合戦」 この時大般若経六百巻を書写して守刀一振。非理法権天の菊水旗を奉納し戦勝祈願を行っている。 花山法王(六十五代天皇)西国観音霊場巡禮され当寺に奉拝されるや
  参るより 頼みを可くる ふぢい寺
    花のうてなに 紫の雲
 と詠まれました

 永正七年(1510)八月八日大地震により伽藍諸堂倒壊する。
 同年十一月諸国に大勧進し修復に興す。

「境内案内」より

四脚門

南大門

境内

大師堂