枚岡神社

枚岡神社は、大阪府東大阪市出雲井町に鎮座。
河内国一宮です。
延喜式神名帳の河内郡「枚岡神社四座名神大月次相嘗新嘗」にあたる。

御祭神
    第一殿 天児屋根大神
    第二殿 比売神
    第三殿 経津主大神
    第四殿 武甕槌大神
 摂社 若宮社
  御祭神 天忍雲根大神
 末社 天神地祇
  御祭神 天津神国津神

御由緒
 社伝によれば、神武天皇御東征の砌、紀元前三年国土平定祈願のため、天種子命勅命を奉じて現社地の東方山上の霊地神津嶽に、天児屋根大神、比売神の二柱の神霊を奉祀せられた、その後孝徳天皇白雉元年(650)平岡連等が、現社地に神殿を造営、山上より二柱の神霊を奉遷し、次いで光仁天皇宝亀九年(778)香取鹿島より、経津主大神、武甕槌大神を勧請奉斎して以来、四柱の神霊が四殿に御鎮座になっている。悠久限りなき上代に勅旨にて創祀せられた故を以って、古来朝廷の尊崇最も厚く大同元年には封戸六十戸を有し、貞観年中に神階正一位を授けられ、同時に春秋の勅祭に預り奉幣を受け、之を以って永例と定められ、更に延喜の制成るや大社として三大祭に案上の官幣に預り、名神祭、相嘗祭の鄭重なる祭祀を受け、殊に春冬の二回勅使を遣わされて厳粛なる枚岡祭を行わせらるる外、随時祈雨祈病大祓等の祈願奉幣に預る等、最高の優遇を受けた。
 中世より河内の国一の宮として御社運益々繁栄し河内一円の諸衆を氏子とし、武家、公家、庶民に至るまで根強き信仰を集め、明治四年神社制度が確立されるや、官幣大社に列格され御神威は益々高揚しその後幾多の変遷を経たが、創祀以来二千六百有余年の由緒を誇る大社としての格式と尊厳を保持し、今日に至っている。
 尚摂末社として若宮社、天神地祇社が御鎮座になり、その南方の神苑には数百株の梅樹が植栽され、季節には参拝者の目を楽しませている。

「境内案内」より

二ノ鳥居

境内

拝殿

中門

[摂社] 若宮社

[末社] 天神地祇