阿部野神社
阿部野神社は、大阪市阿倍野区北畠に鎮座。
神仏霊場巡拝の道 第44番です。
御祭神 北畠親房公 北畠顯家公
御祭日 一月二十四日北畠親房公は殊に後醍醐天皇の御親任が厚く「後の三房」と称された一人である。後醍醐天皇の吉野御遷幸の後は、吉野朝の中心人物として伊勢、あるいは常陸において、京都回復の計画を進められた。後醍醐天皇の崩御後後村上天皇の帝王学の教科書として、常陸国の小田城で『神皇正統記』を著した。後、吉 野に帰り、後村上天皇を助け奉り、三后に准じられたが、正平九年(1354)四月十七日病にて薨じられた。御年六十二歳であった顯家公は親房公の御長子で、元弘三年(1333)八月陸奥守に任じられ、同十年義良親王を奉じて陸奥へ下向され、奥羽は忽ちにその威風に靡いた。延元元年、足利尊氏が叛すると、上洛して九州に敗走させたが、延元三年(1338)京都回復のため再度上洛して五月二十二日御年二十一歳で戦没された。
現在地は顕家公が足利軍と戦った古戦場で明治十五年一月阿部野神社と号して創立、同二十三年三月鎮座祭が斎行され、別格官幣社に列せられた。現社殿は昭和四十三年に再建されたものである。「境内由緒書」より
旗上稲荷社
祖霊社と勲の宮