廣田神社

廣田神社は、兵庫県西宮市大社町に鎮座。
二十二社の一、延喜式神名帳では名神大社に列せられる。

兵庫県武庫郡式内社廣田神社本社、摂社名次神社、摂社岡田(太)神社、摂社伊和志豆神社の四社でいずれも廣田神社の所管であるという。

御祭神
 御本殿
  天照坐皇大御神の荒御魂
 御脇殿
  住吉三前大神
  八幡三所大神
  諏訪建御名方大神
  高皇産霊大神

御創祀
神功皇后摂政元年(201)、国難打破の道を示し、八幡大神の御懐妊を告げ安産を守護し、軍船を導き、建国初の海外遠征に勝利を授けた、廣田大御神の御神誨により、御凱旋の帰途、御心・廣田の國に国土安泰・外難の守護として御創祀されたことが、我が国最古の国史書『日本書紀』に記されています

御沿革
大同元年(806)封戸四十一戸、貞観十年(868)従一位昇叙、延喜年間(901〜923)官幣名神大社・相嘗祈雨の奉幣に列し、全国神社に冠たる二十二社に先立ち正暦二年(991)十九社の一社に加えられ、朝廷より恒例・臨時の奉幣枚挙たることが古記録に残り、明治四年(1871)の社格復興の折には県内で唯一官幣大社に列格しました(明治十八年には淡路・伊弉諾神宮が官幣大社に昇格)明治七年には境内地を分割譲与し末社戎宮総本社・西宮神社を独立させています
伊勢大神宮御同体」の兵庫県下第一の御社格御由緒の大社として広く崇敬を集め、中世には「西宮参拝」と称して国家の神事を司った神祇官の歴代長官や公家・五山の僧侶たちが度々に亙って参詣し、物語や和歌・今様・漢詩に多々その痕跡を残しています
武家の崇敬も篤く、源頼朝平氏討伐を祈願し淡路・廣田の庄を寄進、豊臣秀頼末社・戎社(現西宮神社)と共に大規模な改築を行い、徳川吉宗は現今の地に遷宮しました
御社殿は、伊勢神宮戦後初の式年遷宮に当たり荒祭宮旧社殿の譲与を受け、昭和三一〜三八年(1956〜63)に神明造にて造営がなされました

御神徳
国民の総親神である天照皇大神は、八百万神々の中でも最高至貴なる、生活の基の衣食住を整えられた祖神にして、特に荒御魂の廣田大御神は、勝運合格・開運厄除・子授安産・交通安全・立身出世などに霊験高き神として万民の崇敬をあつめています
廣田大御神は和歌文学歌謡の神としても崇敬され、勅撰和歌集の撰者である藤原俊成源俊頼は和歌に詠み、後白河法皇撰録の『梁塵秘抄』にも廣田神社やその所管社を謡い込んだ今様(当時の流行歌舞)が多数収録され、文学に関わる先賢たちが神恵を受けました

「境内案内」より

鳥居

拝殿


伊和志豆神社

末社(稲荷神社、地神社、春日神社、子安神社、八坂神社)


松尾神社

齋殿神社