生國魂神社

生國魂神社は、大阪市天王寺区生玉町に鎮座。
式内社摂津国の「東生郡 難波坐生國咲國魂神社二座名神大、月次相嘗新嘗」に比定される。

御祭神
 生島大神
 足島大神
 大物主大神相殿神

御由緒
社伝によれば、神武天皇が九州より難波津にお着きになった際、現在の大阪城付近(のちの石山碕)に、生島大神足島大神を祀られたのが当社の創祀と伝えられています。そののち、相殿神として大物主大神をお祀りされています。
当社についての初見は、『日本書紀孝徳天皇(七世紀中頃)に「生國魂社」と記されており、平安時代の『延喜式』には、「難波坐生國咲國魂神社」二座と記され、御祭神は特別に生島巫によって祀られるなど、国家の祭祀(八十島祭)の社として知られています。
中世では当社に隣接して「石山本願寺」が建てられ、そして天正十一年(1583)に豊臣秀吉公が大阪城築城のため、社領を寄進し社殿を造営し、同十三年(1585)に現在の鎮座地に遷されたと伝えられています。
そののちも豊臣・徳川と時代の変遷はありましたが、両家の保護のもとに神域は守られ、以来「難波大社」の尊称をもって広く朝野の信仰を集め、明治には官幣大社に列せられるなど、国土の守護神・大阪の総鎮守として人々に崇敬されています。

御社殿
本殿は、「生國魂造」と呼ばれる他に類をみない建築様式であり、本殿と幣殿は一つの流造りでふきおろし、正面の屋上に千鳥破風・すがり唐破風・さらに千鳥破風の三破風をすえたものになっています。
社殿は明治四十五年の「南の大火」、昭和二十年の戦災による焼失、同二十五年の「ジェーン台風」により総檜素木造の御本殿が倒壊し、現在の社殿は昭和三十一年に鉄筋コンクリート造で建てられたものです。

「境内案内(紙)」より

境内図

鳥居

社殿


以下、境内社

天満宮

住吉神社

皇大神宮

精鎮社

稲荷神社

源九郎稲荷神社

鴫野神社


城方向八幡宮

鞴神社

家造祖神社

浄瑠璃神社