阿伎留神社
阿伎留神社は、東京都あきる野市五日市に鎮座。
「延喜式」神名帳に載る武蔵国 多磨郡「阿伎留神社」に比定される。
延喜式内 阿伎留神社 由緒略誌
一、御祭神
大物主神
味耜高彦根神
建夷鳥神
天児屋根命
二、社名
阿伎留 畔切 秋留と三様に書くが皆「あきる」と読む 正式には延喜式に載るとおり阿伎留神社である
また鎮座地により松原大明神とも称し江戸時代中期一時春日大明神と呼ばれた 通称は松原さまである
三、由緒
創立起源不詳 延喜式では武蔵国多摩郡八座の筆頭にあげられている また 三代実録元慶八年秋七月十五日の条には武蔵国正五位下勲六等畔切神に従四位下を授けた旨が記載されている いずれにしても武蔵国内著名の古社で朝野の崇敬篤く以後も定時の奉幣加階が行われた
また武将の信仰も広く 藤原秀郷は平将門征討に際し戦勝祈願し鎌倉時代以降も源頼朝 足利尊氏 後 北条氏もそれぞれ社領を寄進した 徳川家康は江戸入府の翌年天正十九年十一月武蔵国多西郡秋留郷松原の内で十石の土地を寄進し以後代々の将軍はこの先例に従って その末印十二通を現存している 明治以降神社制度の確立に伴ないいち早く郷社に列格し更に明治四十年五月神饌幣帛料供進神社に指定された 戦後昭和二十九年四月宗教法人となった
社殿は天保元年の五日市大火に類焼し本殿拝殿付属殿舎尽く焼失した そこで幕府に請うて江戸府中武蔵一国の勧化許可を受け資金資材の準備を進めたが建設までには至らず明治二十一年十一月漸く現本殿拝殿の再建が成った
四、末社
大鳥神社 若電神社 熊野神社を合祭する
菅原神社 小川神社 占方神社 倭健命神社を合祭する
日枝神社 伊多弖神社 松尾神社 平野神社 庭津日神社 国造社を合祭する
稲荷神社 松原稲荷神社 白光稲荷神社 福穂稲荷神社
琴平神社 境外末社入野峰山頂に祀る
熊野神社 境外末社中入野熊野山に祀る
右のうち若電神社と伊多弖神社は三代実録に載る古社である「境内由緒書」より