他田坐天照御魂神社

他田坐天照御魂神社は、奈良県桜井市太田に鎮座。
延喜式神名帳城上郡の「他田坐天照御魂神社大、月次相嘗新嘗」の論社。

古くは春日神社と称していたが、「大和志」が「延喜式神名帳城上郡の「他田坐天照御魂神社大、月次相嘗新嘗」にあててから、社名・祭神を変更。「大和志」が当地を古代の他田(訳語田)としたのは他田・太田の音(タダ)の相通ずることによる。

天平二年(730)の大倭国正税帳(正倉院文書)によると、他田神戸に租九九束二把を定め、うち四束を祭神料に充てさせたことがみえ、大同二年(807)には大和・伊勢に各一戸の神戸が寄せられた(新抄格勅符抄)。天安三年(859)一月二七日に従五位下より従五位上に昇叙した(三代実録)。現桜井市戒重の春日神社を式内社とする説もある(桜井町史)。訳語田宮は磐余地方にあったもので(日本霊異記)、当地付近まで磐余とするには無理があるともいえるが、境内北側の太田遺跡は、弥生時代から平安時代にわたる豊富な農耕遺跡であり、古く発達した地域である。平安時代、鎮座地は奈良興福寺領大田荘となったが、社名の春日もこれによるものである。中世には現桜井市穴師の穴師坐兵主神社を中心とした宮郷の一となり、当社もしだいに衰退していったものであろうか。

「寺院神社大辞典」より抜粋