昆陽山 地蔵院(椿寺)

地蔵院は、京都市北区大将軍川端町にある寺院。
洛陽三十三所観音霊場のの第三十番札所です。

 正しくは昆陽山地蔵院という浄土宗の寺で、「椿寺」の愛称で親しまれている。
 神亀三年(726)に、行基聖武天皇の勅願によって摂津国の昆陽野池のほとりに建立した地蔵院が始まりといわれる。その後、平安時代衣笠山麓に移され、室町時代初期に戦災で焼失したが、足利義満金閣寺建立の余財で再建し、天正十七年(1589)に豊臣秀吉の命によって現在地に移された。
 地蔵堂に安置する地蔵菩薩は、行基作のものと伝えられる。地蔵堂背後の板扉はもと北野天満宮にあった多宝塔の遺構とされる。
 書院の前庭には、北野大茶湯の縁により秀吉から当寺に寄進されたといわれる「五色八重散椿」があったが、惜しくも枯死し、現在は樹齢約百二十年の二世が本堂前に花を咲かせている。薄桃色や白に咲き分ける五色の八重椿で、花ごと落ちず、花びらが一枚ずつ散るのを特徴とする。境内には、忠臣蔵で有名な天野屋利兵衛のものといわれる墓や、与謝蕪村の師に当たる夜半亭巴人の墓などもある。洛陽三十三所観音霊場の第三十番札所である。

「立て看板より」