蜂岡山 広隆寺

広隆寺は、京都市右京区太秦蜂岡町にある寺院。
教科書などで見たことがあると思いますが、国宝の弥勒菩薩半跏像が霊宝殿に安置されています。
拝観料が掛かりますが、お薦めします。私は30分位見惚れてしまいました。
※撮影は禁止なのでリンクを貼っておきます。 Wikipedia - 弥勒菩薩半跏思惟像

 広隆寺推古天皇十一年(603)に建立された山城最古の寺院であり、聖徳太子建立の日本七大寺の一つである。この寺の名称は、古くは蜂岡寺、秦公寺、太秦寺などと言われたが、今日では一般に広隆寺と呼ばれている。
 広隆寺の成立に就いて、日本書記によると秦河勝聖徳太子から仏像を賜りそれを御本尊として建立したとあり、その御本尊が現存する弥勒菩薩であることが廣隆寺資材交替実録帳を見ると明らかである。
 秦氏族が大勢で日本に渡来したのは日本書紀によると第十五代応神天皇十六年で、主は養蚕機織の業であり、その他に大陸や半島の先進文化を我が国に輸入することにも努め農耕、醸酒等、当時の地方産業発達に貢献していた。
 我が国に大陸文化を移し産業と文化の発達の源流・経済の中心ともなった太秦の、この広隆寺は、衆生済度の道の探求、仏法への絶対的な帰依、そして"和を以って貴しと為す"平和な世界をめざされた慈悲の権化である聖徳太子の、理想の実現に尽力した秦氏の功業を伝える最も重要な遺跡であり、信仰と芸術の美しい調和と民族の貴い融和強調とを如実に語る日本文化の一大宝庫である。
 広隆寺弘仁九年(818)に火災に遭ったが、秦氏出身で弘法大師の弟子である道昌僧都によって再興、更に久安六年(1150)にも炎上し、復興された。このように、度々の災禍にも拘わらず、多くの仏像がよく保存された事を思うと、これらの仏像がいかに強い信仰の対象となっていたかが、うかがわれる。

リーフレットより」

弥勒菩薩に圧倒されたせいか、写真が少々雑になってしまった…

上宮王院太子堂(本堂)

講堂(赤堂)

境内

南大門(仁王門)裏から