金刀比羅神社(山武市)

金刀比羅神社は、千葉県山武市松尾町八田に鎮座。

【御祭神】
大己貴命大国主命)大黒様と称する
大日霎命

【御事歴・沿革】
当神社は、今を去る六百三十余年前、後醍醐天皇の延元二年十月讃岐国、金刀比羅大神を奉勧遷所されたと伝えられる。
第百五代後奈良天皇の弘治二十一年当社の北方千米余の所に、坂田城があり、千葉氏の族城主井田因幡守友胤が、金刀比羅大神を信仰され、祈願所とする。
その霊験により数度の戦功ありてより逐次崇敬者の数を増し、第百十一代後西天皇の寛文年間に、武射郡八田村二百余戸の住民相謀り本殿を再建し、孝明天皇(第百二十一代)文久四年三月坂田城主友胤十一世の孫、徳川家家臣正五位平三郎殿墓参のため、坂田郷寺方に来し折、祖先の崇敬厚かりし当社に参拝し、神饌料若干と、剣一振りを奉納された。

明治二十二年六月、東京力士青年横綱として知られた小錦八十吉氏は、隣接横芝町の出身にして当神社の信仰深く、郷土に錦を飾って帰り師匠高砂浦五郎氏、横綱披露相撲を神前にて催し、記念のため、敷地三十五坪と柱時計(二尺六寸)壱個を寄進された。

明治二十八年九月、日清戦争記念事業として、境内外郭を整備せんと石玉垣建設の件議り、各崇敬者に依頼せし処、意外の賛同者を生じ、境内六十六間に亘る清楚なる石玉垣が明治三十年五月に完成された。
大正九年五月、社殿の腐朽と狭隘とに依り、改築の議ありて、当時内務省神社局造神宮司庁技師大江新太郎博士の境内調査により現在地に総合湾桧・銅版葺の大正・昭和時代の神社建築界の異彩を極め、昭和四年十月二十五日夜盛大荘厳なる遷座祭を執行し、三日間の奉祝祭を催した。

「境内案内より」

鳥居

手水舎

境内

拝殿

境内社かな?