平野神社

平野神社は、京都市北区平野宮本町に鎮座。
二十二社の一社で、式内「平野祭神四座」に比定されている古社。

境内を写真を撮るためうろうろしていると、神職の方に「銀杏踏まんといてや〜」なんて言われながら参拝。
長閑な雰囲気が漂っていました。

祭神に関して、諸説あるようで、その一つを紹介しておきます。
平野神社公式サイトでは、異説とされています。

 平野神社という社名は、その鎮座地にちなむもので古来変わっていないが、この神社はわが国神社のうちで、外蕃の神を祭り官社とされた代表的なものである。
 平野神社はもと今木神として奈良の田村で祭られていたが、延暦十三年(794)桓武天皇平安京に奠都されたとき、今木神が天皇の生母高野新笠の祖先である百済王の祖神であるところから、これを現在地へ遷祀したものである。今木神とは今来(新来)で外国から渡来した神の意味であり、ここでは百済聖明王をいう。平野の祭神には今木神のほか、遷祀にあたって久度神・古開神・姫(比竎)神の三座を迎え、併せて四座がある。久度神は竈の神とされ、聖明王の先祖仇首王、古開は古関のことで古は枕流王、関はさらに古い肖古王である。比竎神は外祖母大枝真妹の祖神であろうとされるが、そうするとこの神だけは日本の神ということになる。

 平野の祭神に関し平安時代中頃から珍しい例が起った。それは四座の神に対し、今木神は源氏、久度神は平氏、古開神は高階氏、比竎神は大江氏がそれぞれ氏神として崇敬したほか、摂社の県社は中原・清原・菅原・秋篠氏がともに氏神としたことである。

摂社県社の祭神は天穂日命とされ、これこそは大枝氏の祖神である。

「日本史小百科 神社より」

鳥居

神門


拝殿

本殿

出世導引稲荷社

猿田彦

春日社 住吉社 蛭子社 鈿女社

八幡社

境内