住吉大伴神社
住吉大伴神社は、京都市右京区龍安寺住吉町に鎮座。
延喜式神名帳「山城國葛野郡 伴氏神社」の論社となっています。
拝殿御祭神
住吉三神、 底筒男命、中筒男命、上筒男命
大伴祖神、天押日命、道臣命由緒
住吉大伴とは古代の豪族大伴氏を祭る伴氏神社に住吉大神を合せ祭ったことによる
大友氏は はじめ大和国にあってその勢力を振っていたが、平安遷都によりこの地に移住しその祖先の神 天押日命を祭ったのである。「續日本後記」には「承和元年正月賜二葛野郡上林郷地方一町賜伴宿祢等一為下祭二氏神一之処上」(834)、又「嘉承二年十二月授二從五位下伴氏神社一」(849)とあり、大伴氏は上代の武門の家として、物部氏と共に皇居を警衛し禍乱を鎭圧して功を立てた一族であり、後に淳和天皇(第五十三代)の御諱の大伴親王をはばかり伴氏と改めたのである。応天門の変(貞観八年、866)によって判 善男が伊豆に流されてから衰退し伴氏神社の名も世に疎くなっていったものと思はれる。
並河 永編するところの「山城誌」(享保十九年刊1734)に「伴氏神社(中略)在龍安寺村今称住吉」とあり、又伴信友(嘉永元年没、1848)の「神明帳考證」には「伴氏神社(中略)今龍安寺にありて住吉といふ」とあり、両書とも古伝によるものであるが、当社が伴氏神社と同じ地にありながらいつの世にか住吉神社と称せられるに至ったのは、伴氏の衰微と共に葛野郡に山荘を営む徳大寺家の領するところとなりその徳大寺家が和歌の神として崇めた住吉三神を祭ったことにより伴氏神社は住吉神社として祭られそれ以来永く龍安寺、谷口地区の氏神として崇敬されていたが、昭和十七年八月二十一日許しを得て、住吉三神及び大伴祖神を合祀、社名を住吉大伴神社と変更して今日に至る。
住吉の神の和と、大伴の神の武、それぞれ和武合体中傭を保ちて和平の神と崇められている。「案内板より」