廣瀬大社

廣瀬大社は、奈良県北葛城郡河合町に鎮座。
延喜式神名帳広瀬郡の「広瀬坐和加宇加売命神社名神大、月次新嘗」とされ、二十二社の一。

 廣瀬神社は、奈良盆地の多くの河川が合流して大和川となる水上交通の要衝に位置しています。神社の西方には明治の中頃まで「川合浜」という船着場があり、物資の集散地として賑わっていました。
 『河相宮縁起』では崇神天皇の時代に創建されたとされ、『日本書紀天武天皇四年(675)条に、龍田の風神とともに祭祀をおこなった記事が見られます。その後、戦国時代に途絶えるまで毎年四月と七月に朝廷より使者が遣わされ、祭祀が行われていました。戦国時代から江戸時代初期にかけて一時衰退しますが、元禄年間に復興し、旧廣瀬郡の総氏神として広く崇敬を受けるようになりました。祭神は主神が大忌神の異名を持つ若宇加能売命で、水の神、水田を守る神、五穀豊穣の神として篤く信仰されています。
 神社に伝わる絵図「和州廣瀬郡廣瀬大明神之圖」は室町時代に描かれたと推定されますが、この絵図には八町四方の四至に鳥居を建てた広壮な姿が描かれています。また、本殿は三殿が並ぶ姿に描かれ、相殿に櫛玉比売命と穂雷命 を祀っています。永正三年(1506)の戦乱により往時の建物は灰燼に帰したと伝えられます。現在に残る最古の建物は、正徳元年(1711)に造営された本殿です。
 この本殿は一間社春日造の様式をよく伝えるものとして、昭和六十三年(1988)三月二十二日に奈良県指定文化財に指定されました。
 毎年二月十一日に行われる砂かけ祭りは「オンダ」とも称される御田植祭で、砂を雨に見立ててかけ合い、五穀豊穣を祈る祭りです。この祭りは河合町の歴史を考える上で重要なものとして、平成二十一年(2009)十二月十一日に河合町指定文化財に指定されました。

「境内案内」より

一の鳥居

参道

二の鳥居

拝殿

本殿

日の丸大明神

日吉社

祖霊社

祓戸社