観谷山 聖輪寺

観谷山 聖輪寺は、東京都渋谷区千駄ヶ谷にある寺院。
御府内八十八ヶ所の第10番札所。

聖輪寺観音略縁起

神亀二年(725)五月、行基菩薩北越遊行の時、此地に暫く休息されました。谷の中より光がさし、聖如意輪観音が出現し、「此地は我に因縁あり、汝よろしく我姿を彫刻し、来世の衆生に結縁させよ、広く利益を与える事であろう」と申され、大きな古木の本に消えました。行基菩薩は感激し、その古木を加持し、三尺五寸の如意輪観音像を彫み石の上に安置しました。
これ故に山号を観谷山、寺号を聖輪寺と号することとなった。
文明(1469)の頃、渋谷氏一門の何某、この尊像を深く信仰し、その家は日々に栄え、子孫繁栄、富貴自在の身分となり、世の人々より黄金長者と呼ばれるようになった。同氏は堂宇を営造しこの尊像を崇いました。
青山長者丸という所はこの黄金長者の跡である。
天正(1573)の頃、この里の童達が集りこの尊像を前の川へ運び、共に水浴びして遊びました。不思議な事に、ある夜、里人の夢の中に尊像が現れ「善哉善哉、童達毎日、吾を浴びせし縁より、一切の病難から救うであろう、汝ら疑う事なかれ」と告げました。その頃、国中に疱瘡が流行ましたが、この里の人々は病気から免れ、これ偏に観音の大悲護念のしるしであると、この時より尊像の扉を閉め秘仏として崇め奉りました。
又、慶長三年(1596)三月、盗賊が忍び入り、この観音の双眼は、黄金であると伝へ聞き、鑿で取り去ろうとした時、守護神の罰か、自然に自ら所持していた鑿に貫かれて死んだ。甲賀組の高橋四郎左衛門が親たりにこれを見、観音の霊験に驚き堂宇を再興して敬った。
これより観音は「目玉の観音」「千駄ヶ谷観音」と呼ばれ信仰を集めた。
『文政寺社書上』観谷山聖輪寺観音略縁起より
  宝歴五年(1755)豊山池坊僧正信怒録
尚『江戸砂子』に、「この江戸において千余歳を数える霊場浅草観音と当寺である」と記されている。

「境内案内」より